クルトンパパのいろいろ日記

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help リーダーに追加 RSS あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった -カウラ捕虜収容所からの大脱走-

<<   作成日時 : 2008/07/15 10:00   >>

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録画してたのを昨日見た。
どうやら、オーストラリアでは誰でも知っていることらしい。
なのに、不覚にも半世紀も生きていながら、私はこの事件を知らなかった。

そういえば、各地にいたはずの日本人捕虜の話、あまり語られること無いね。
まさか今でも、「生きて虜囚の辱めを」と言うわけでも有るまいに。

確かあの戦陣訓の有名な一節生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿(なか)れと言うのが、重くのしかかっていたんだろうなあ、当時の日本兵には。

これの解釈はいろいろあって、本来の意味は、決して捕虜になるくらいなら自決せよ!と言う意味ではなく、最後まで戦え、軍人として恥ずかしい行いをすれば、捕虜になった時はもちろん、死んでからも罪禍の汚名を着る事になるから、軍人として恥ずかしくない行動をせよ!と言うことだったと言うけどね。
実際、帝国軍の軍法に、捕虜になってはならないと言う一節は一切無いらしいし。

ドラマに戻れば、とにかく結構いいドラマだったな。小さいところにはいろいろ問題も有った(ジャングルをさまよう小泉幸太郎の髪が、耳に掛からぬよう、整髪されてるとか)有るんだけど、収容所の雰囲気も伝わってきたし、安倍サダヲ演じる軍曹のような連中も、きっと一杯いたんだろうなあ。
「生きて虜囚の辱めを受けず」と言いながら、自分も捕虜となり、健康を回復しても死んでないんだよね。

トイレットペーパーより軽い命、悲しいね。
本当に、ギリギリまで戦い、動けなくなり捕虜となったものが、恥として公にされないと言うのがなんとも酷い話。
大戦最初の捕虜となった、特殊潜航艇の酒巻少尉は他の9人が軍神とされたのと対照的に、その存在そのものを否定される形になった。表向きには、日本には捕虜はいない、だから、捕虜収容所にいるとなれば、村八分になると言う、酷い状況下で実行された大脱走。

恐らく、これはこのまま事実なのだろう。
が、私が見聞きした中で、これほど最低・最悪の脱走劇を知らない。
本来、脱走と言うもの、特に1000名を超える大脱走の場合、綿密な計画と準備が必要なのに、前日思い立ったような、何の計画も準備もないまま、最終目的は「死」と言う脱走などありえない。

カウラから逃げたとして、その後のことも何にも考えられていない。
敵国の後方撹乱と言うのも、戦闘地域から離れたオーストラリアでは意味が無いし、また、原隊復帰といっても、どうやって南方戦線に戻るかと言う展望も一切なし。有るのは、「生きて虜囚の辱めを受けず」という、一点による死ぬための大脱走。

日本では、こう言うことをきっちり教えていく必要があると思うのだけどね。
もっとちゃんと、いろんなこと、教えていかないと、あの戦争が何の意味もないものになってしまう。
なぜ、バンザイクリフから女性たちは、無言で笑顔で飛び降りていったのかとか、沖縄での集団自決がなぜ、行なわれたのかとか。
特攻の本来の意味とか。さらに言えば、なぜ、あの戦争に突入して言ったのかと言うことも。

敗戦を終戦と言い換え、単なる過去の事実と言うことだけで済ませるうちに、風化させてはならないと言いながら、どんどん風化していっている。そんなこと考えながら、最後、恒例の涙流してた私がいました。

涙もろくなってしまったよ。

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