クルトンパパのいろいろ日記

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zoom RSS 立川談志さん、死去してた

<<   作成日時 : 2011/11/24 07:19   >>

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      戒名決めていた・声帯摘出手術を拒否…談志さん

 立川談志さんの長男・松岡慎太郎さんと、長女・弓子さんが23日夜、東京都内のホテルで記者会見を開き、闘病の様子を説明した。

 談志さんは、昨年11月に喉頭がんが再発。医師からは、声帯を取ってほしいと言われたという。慎太郎さんは「しゃべる仕事をしており、まして立川談志。本人もプライドは許さないと、摘出手術は拒否。表面のがんだけ取り除き、今年3月まで高座に上がり続けた」と語った。

 闘病中、泣き言は一切なかった。しかし3月末に気管切開手術を受け、声を出せなくなると、ショックは大きかった。「しゃべれるのか、声は出るのか」。家族との最初の筆談に、そうつづった。「何よりしゃべれないのが苦しいようだった」と慎太郎さんは語った。

 10月27日に容体が急変し、一時は心肺停止となったが、3週間、強く生き続けた。戒名は、立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)。生前、自分で決めていた。

読売新聞 11月23日(水)

2001年の3代古今亭志ん朝の死去、そして、一昨年の5代三遊亭圓楽に続き、とうとう7代立川談志師匠が亡くなった事で、わたしが若い頃、落語と言うものを知るきっかけを作ってくれた方がいなくなった。
いわゆる、四天王と言われた四人の中で残っているのは8代橘家圓蔵ただ一人。
が、圓蔵師匠に関しては、なんと言うか、いまだに円鏡時代のイメージが強くてね^^

破天荒、と言う言葉がぴったりくる感じの人だったが、もしかしたら、そのイメージに縛られたと言うところも有ったのかも知れないねえ。
癌宣告を受けた会見で、タバコを吸って見せたが、これは同じように最後まで勝新太郎を演じた故人と同じように、立川談志は、ああじゃなきゃならなかったのかもしれない。

一度だけだが、生で聞いた事がある。佐世保まで来て、ホール落語だったが、本当に笑い転げた記憶があるよ。
古典を単純に古典としてだけ演じるのではなく、古典の中に「立川談志」を加えたスタイルは、やはり立川談志以外の誰にも真似できないものだったんだろうな。

最後はしゃべれなくなった、と言うのがねえ、なんとも寂しい。
喉頭癌を患いながら、噺家として絶対に譲れない線として、声帯摘出を拒否したくらいの人だったからな。
多分、最後の手術をしたら喋れなくなるとわかったら、命が縮まっても拒否したんだろうねえ。

自分で決めていたと言う戒名も、いかにも彼らしい戒名だよね。
真打昇格問題で協会から分離し、弟子を養いながら、口立てで芸を教える、噺を教える、と言うやり方を、落語立川流として、弟子から上納金を取る家元になって、と言うのも彼らしいやり方だったような。

7代立川談志師匠のご冥福をお祈りします。

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